CHIEKO・ちえこ

グラインダースタッフ

 


ここに導いてくれた事を感謝してます

 最初は壊れた食器を使ってアクセサリーを作ることにちょっと抵抗がありました。でも出来上がった商品はとてもきれいで、加工する前の陶器の破片からは想像もつかない美しさに驚いたことを今でも覚えています。NOZOMIには同じ年代のお母さんがいっぱいいて、仕事は仕事として大事だけど、それと同じくらい、みんなと会って話ができる事も好きです。これからもずっとNOZOMIが続いていったらいいなと思います。ここに導いてくれて、色んな人に出会わせてたことに感謝しています。

 

 

あの日のストーリー

 地震が起こった時、私は家でお昼ご飯を食べていました。大きい地震だったので、とりあえず外に出ました。家に戻ると下駄箱などが色々倒れてて、子供たちの事がとても心配になりすぐ迎えに行きました。 みんな山の方へ逃げていたので、道がすごく渋滞していました。子供たちと一緒に家に戻ると、義理の母と夫が車の中に毛布などを入れていました。まさか津波がここまで来ると思わなかったので、私はそれほど危機感を感じていませんでしたが、遠くから「津波来たぞ!」という大きい声が聞こえ、「え?!」っと思って、子供を抱いて逃げました。それから後ろから津波が来るのが見えました。家は海から少し離れているので、穏やかな波でしたが、様々な瓦礫、タイヤやゴミがザーッと流れてきました。三階建てのマンションがあったので、三階まで上がりました。窓から外を見ると、下はもう水浸しになっていました。その家の方が、家に入ってと声をかけてくれたので、あの日の夜はその家に泊めていただきました。その間も逃げ遅れた人が車の窓から上にあがって、助けて!と叫んでいました。

 次の日水はひいてなかったのですが、自分の家の二階はまだ大丈夫だとわかったので、子供をおぶって家へ帰りました。近くのコンビニで買い物をしてる人の姿が見えたので、自宅の方が子供たちも落ち着くので、私たちも少し食べ物を買って戻りました。一階は畳がひっくり返っていてひどい有様だったので、とりあえず二階を住める状態にしました。三日後、親が松島から石巻へ来てくれました。私と子供たちは親と一緒に松島へ行って、数ヶ月実家にお世話になりました。その間夫と義理の両親は石巻に残って家の片付けをしていました。私も時々必要な物をもって手伝いに行きました。

 震災で小学校がだめになってしまったので、子供は少し遠くの仮設小学校にバスで通っていました。バス乗り場まで子供を送り迎えしていた時、スーさんと出会いました。スーさんと話しをするようになって、「こう言う事をやっているよ。見に来てみない?」と言われて、それがNOZOMIと関わるきっかけでした。最初は作り手の仕事をしていましたが、最近はグラインダーの仕事もしています。